今年もどうぞ宜しくお願い致します。
2025.01.17

初春挨拶
令和7年の元日を迎え、また新たな1年に足を踏み入れることが出来ました。時に北海道はこれからが冬本番というところ、あまりうかうかしてはいられないような気もしておりますが、今暫くは檀信徒の皆様の御蔭をもって新年を息災に迎えられたことへの喜びに浸りつつ、新年の御挨拶に替えさせていただきたいと存じます。それでは何卒、本年もどうぞ宜しくお願い致します。
懐古無窮
私の母校の別苅小学校には懐古無窮と彫られた石碑がありました。
「昔を懐かしむ心は尽きることなし」という懐古心について述べた漢詩を引用したもののようですが、年齢を重ねるにつれてこの言葉の意味をよく考えるようになりました。この石碑は数年前に母校が閉校するタイミングで取り壊されており、現物を目にすることはもうかないませんが、今思えばこちらを建造した当時の関係者の方々は、現状をも含めてこの言葉を刻んだのではないかとすら思えるほどの素敵な石碑でした。つくづく時間の流れというのは残酷で、そして美しいものなんですね。
私にとりましては昨年を振り返るだけでも、実に様々な出来事がありました。嬉しいこと、悲しい事、楽しい事、檀信徒の皆様におかれましても様々なことがあった一年かとも思われますが、如何でしたでしょうか。
「生死事大 光陰可惜 無常迅速 光陰可惜」
海音寺本院にある木版(禅寺においての時間を知らせるために木槌をもちいて打ち鳴らす木製の板のこと)の表面にはこの様な禅語が記されております。人生は儚くも短く、時の流れは人の都合に合わせて待ってもくれない。いまこの時を惜しむように大切に生きなければならない。この木版のこの文句、言わば僧侶にとってはいい意味で普遍的な言葉ではありますが、先の石碑の件と併せて自身に於いては今更ながらよく身に染みるように感じます。とは言え、頭では理解していても毎日、毎時間、一分一秒これらを体現し続けられるかといえば中々困難な問題です。まだまだ修行が必要のようです。

さて、時間を惜しむという面で最近よく耳にする言葉としてコスパやタイパなどが挙げられます。これらの言葉、限られた時間のなかでいかに効率よく物事をこなすかという時間の有限性に注目するという点については素晴らしいものがありますが、些かの危険性をはらんでいるようにも思えます。極少数ですが、我々僧侶が携わるご供養の場でもそんな風潮が散見されるようになりました。具体例をあげるとすれば、一日葬などの葬儀の簡略化です。
時間がないからお通夜はせず「一日葬」で済まそう、手数が掛かるから御霊膳などのお供え物は用意しないでおこう、むしろそもそも葬儀自体コスパが悪いからやらなくてもいいかな、、、多数ではないにしても俄かにそんな価値観になってしまっているのが現状です。供養というものは現代的にいえば不生産なこと極まりないかもしれません。また、時代のながれや価値観の違いによってこれらを否定するのも是か非かでいえば是ではありますが、少なくとも今は目には見えないご先祖様方がいたからこそ、今の自分があるという絶対的に変わることのない事実は忘れてはいけないのではないでしょうか。そしてその方々にはやはり無上の感謝を述べなくてはいけないのです。省いてしまっている手間それ自体こそが、実は一番大事なことであったりするのです。
今年はどんな一年になるのでしょうか。先に述べたとおり、私自身も自身の過去を改めて大切にし、手間を面倒くさがらず、令和7年の年を過ごしていきたいと思います。合掌