LOADING...

History沿革

海音寺の沿革史についてご説明します。

海音寺のはじまりは
「大きな石」と「打ち捨てられた廃屋」からだった。

明治14年(1881年)
当時、居住者が急死し相続人が誰もおらず、そのままに打ち捨てられていた12坪の廃屋を貰い受け、境内地内に山道より運んできた巨石を地蔵尊として安置。そして、増毛町 龍淵寺住職斎藤月舩師を拝請し、「海穏舎」と称し庵寺を結んだ。
明治20年頃(1887年)
各地を遍歴している宮沢法覺という25~6歳の青年僧侶が谷地町(現別苅)に訪れた。この時、御本尊が不在の状態だったことを憂慮した法覺師は、御本尊として釈迦牟尼仏像や他2体の仏像、更には地蔵菩薩像1体をその手で彫刻、金箔を押しそれらを当寺に寄贈した。
明治28年(1895年)
斎藤月舩老師が遷化された後に函館市 白蓮寺より酒井観應師を新たに住職として迎え、寺号を「海穏舎」より「海音寺」に改め現在の基礎を築く。
明治34年(1901年)
笠原眞吉、山本三次朗両氏より約1480坪の土地の寄付を受け、そこに伽藍を再建立。
明治40年(1907年)
観應慧音師が稚内市 禅徳寺に転住する運びとなり、一時住職不在の寺院となる。
明治45年(1912年)
礼文島 海全寺より松吟龍山が来住。
以降、大正年間にかけて庫裡や書院などを新たに建築した。
昭和2年(1927年)
西国三十三霊場及び魚籃観音像を建立。
昭和30年(1955年)
戦役戦災病没死者慰霊のために「平和の碑」を建立。
昭和38年(1963年)
海音二世中興松吟龍山が世寿96歳にて遷化。
昭和39年(1964年)
曹洞宗大本山總持寺の直末に列す。
昭和40年(1965年)
本堂と書院、位牌堂を修築。
平成11年(1999年)
海音三世智通龍雄大和尚が遷化。
平成18年(2006年)
泉嶽 寛龍(せんがくかんりゅう)が住職に就任。
平成25年(2013年)
海音四世重興龍泉要之大和尚が世寿85歳にて遷化。
令和2年(2020年)
札幌市北区屯田に海音寺別院建立。
今に至る。

Accessアクセス

〒002-0855 札幌市北区屯田5条6丁目2-32
TEL FAX:011-774-1518

アクセス方法

【お車(タクシー)をご利用の場合】

JR新琴似駅より車で10分
地下鉄麻生駅より車で10分

【地下鉄・バスをご利用の場合】

JR

JR新琴似駅最寄りの[新琴似1条1丁目]
バス停より[琴似営業所前行]乗車→
[屯田5条7丁目]バス停で下車。
それより徒歩5分

地下鉄

「地下鉄麻生駅」バス停より「屯田6条12丁目行」乗車→
「屯田4条7丁目」バス停で下車。
それより徒歩約8分